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中東和平問題とは 経緯と争点 - BBCニュース

ドナルド・トランプ米大統領は28日、長く待ち望まれていた中東和平案を発表した。エルサレムについて、イスラエルの不可分の首都とし続けることを約束する内容になっている。パレスチナを独立国家とすると同時に、ヨルダン川西岸のイスラエル入植地でイスラエルの主権を認める内容だ。これにパレスチナ側は、イスラエルとアメリカによる「謀略」だと強く反発している。

和平案の主な内容は次の通り――。

  • アメリカは、今回の計画でイスラエルの一部だとみなす入植地について、イスラエルの主権を認める
  • 「パレスチナの領土を2倍以上にし、エルサレム東部にパレスチナの首都を置く」。アメリカはその首都に大使館を開設する。パレスチナ解放機構(PLO)はトランプ氏の計画について、パレスチナが「歴史的パレスチナ」と呼ぶ土地の15%で、パレスチナが管轄権を得ることになると指摘した
  • エルサレムは「イスラエルの不可分の首都であり続ける」。聖地エルサレムをめぐっては、イスラエルとパレスチナの双方が領有権を主張している。パレスチナは、東エルサレム(1967年の中東戦争でイスラエルが占拠)が将来建設する国家の首都になるとしている
  • パレスチナは「完全に自分たちの独立国家を実現する機会を得る。ただし、トランプ氏は詳細をほとんど示していない
  • 「パレスチナ、イスラエルの誰も、住まいから追い出されない」。イスラエルが占拠するヨルダン川西岸の現在のユダヤ人入植地はそのまま維持されることを示唆している
  • イスラエルはヨルダン国王と協力し、エルサレムの主要聖地「神殿の丘」の管理を現状のまま維持する。ヨルダンはこの場所を管理する宗教法人を運営している
  • トランプ氏の地図でパレスチナに割り当てられた領土は、「4年間、開発せずオープンな状態にする」。その間にパレスチナは、合意について研究し、イスラエルと協議し、「国家としての要件を満たす」ようにする

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パレスチナとイスラエルの関係をめぐる中東和平問題は、現在の世界で最も長く続く紛争のひとつ。その経緯と争点を、あらためて振り返る――。

争点は何か

中東地域ではさまざまな紛争や対立が続くが、イスラエルとパレスチナの間の問題はその中でも特に大きな難題だ。双方は1993年に画期的なオスロ合意に同意したものの、それから四半世紀以上がたって今なお、両者の隔たりは一向に埋まっていない。

エルサレム: パレスチナとイスラエルの双方が、エルサレムに対する権利を主張している。かつてヨルダンが統治していた東側を1967年に占領したイスラエルは、エルサレム全体を自分たちの首都とみなしている。一方でパレスチナは、パレスチナ人約35万人が住む東エルサレムは、いずれ樹立する自分たちの独立国家の首都になると主張している。

パレスチナ国家: パレスチナ自治政府は、ヨルダン川西岸、ガザ、東エルサレムからなる独立国家の樹立を望んでいる。歴代のイスラエル首相は、自分たちと共存するパレスチナ国家の存在は公的に容認してきたものの、どのような国家なら受け入れるのかについては認めていない。現在のベンヤミン・ネタニヤフ首相は、自治能力はあってもイスラエルへの脅威にならないよう、軍事力を持たない国でなくてはならないと主張している。

承認: イスラエルは、パレスチナがイスラエルを「ユダヤ人の国民国家」として承認する内容が和平合意には不可欠だと、主張を続けている。これがなくてはパレスチナはいつまでもイスラエルの領土に領有権を主張し続け、紛争が終わらないというのが、その理由だ。これに対してパレスチナは、イスラエルが自分たちの国をどう自称するかはイスラエルの自由だが、それを自分たちが「ユダヤ人国家」と承認してしまうと、イスラエルに住むパレスチナ系のイスラム教徒やキリスト教徒やドルーズ派を差別することになると難色を示している。

国境: パレスチナ国家の国境をどう線引きすべきかについて、双方の意見は根本的に食い違っている。パレスチナ側は、1949年から1967年にかけてイスラエルと東エルサレム、ヨルダン川西岸地区、ガザ地区を分けていた停戦ラインが、国境になるべきだと主張する。これに対してイスラエルは、その停戦ラインの軍事的防衛は不可能で、そもそも恒久的なものとして想定されていないと反論している。イスラエルはどこに国境を引くべきだと明確に主張していないが、自国の東側国境はヨルダン川に沿ったものであるべきだとは明示している。

入植地: イスラエルは1967年以来、占領したヨルダン川西岸地区と東エルサレムに約140の入植地を設けている。このほか、非公式に作った121の「前哨入植地(アウトポスト)」もある。両方にはユダヤ教徒のイスラエル人が計60万人住んでいる。こうした入植地は国際法違反とされているが、イスラエルはこれに異議を唱えている。米政府も昨年11月、「国際法違反とはみなさない」と従来の方針を転換した。ネタニヤフ首相は入植地を温存するに留まらず、近くイスラエル主権下に併合する方針。

難民: 国連によると、中東で約550万人のパレスチナ難民が国連諸機関の支援を受けている(パレスチナ自治政府によると最大600万人)。この人数には、1948~49年の第1次中東戦争でイスラエル軍に追われたパレスチナ人の子孫も含まれる。パレスチナ人は故郷への帰還権を主張するが、イスラエルはそのようなことをすれば国内人口の多数がパレスチナ人になり、イスラエルはユダヤ人国家でなくなってしまうとして、帰還権を認めていない。

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イスラエルとパレスチナ 100年間の対立*

  • 2019年11月: トランプ米政権、イスラエル占領地区の入植地について、国際法違反とは認めないと方針転換。国際社会の多数意見と異なる見解を示す
  • 2017年12月: トランプ米大統領、エルサレムをイスラエルの首都として認めると発表。パレスチナ自治政府はトランプ政権との外交関係を断つ
  • 2014年4月: イスラエルとパレスチナの直接交渉、関係悪化で破綻
  • 2000年9月~2005年2月: 第2次インティファーダ(イスラエルの占領に対するパレスチナ人の抗議運動)
  • 1993年9月: オスロ合意。ノルウェーの仲介で成立した、パレスチナとイスラエルの和平に関する合意。イスラエルとパレスチナ解放機構(PLO)は、パレスチナ暫定自治政府の発足、最終地位協定の発効に向けた交渉の継続など、和平交渉の枠組みに合意した。これにもとづき約20年間、和平交渉が続いたが、交渉の中断と関係悪化に至った
  • 1987年12月~1993年9月 第1次インティファーダ
  • 1967年6月: 第3次中東戦争。イスラエルがヨルダン川西岸地区とガザ地区、東エルサレムを占領し、激しい武力対立が何年も続く。同年11月に採択された国連安全保障理事会決議242は、イスラエルに「最近の戦闘によって占領した諸領域からの撤退」を求め、「この地域のあらゆる国家の主権、領土の保全と政治的独立性、安全で武力による威嚇や武力行使を受けることなく安全に、かつ承認された国境内で平和に暮らす権利の尊重と承認」を表明した
  • 1948年5月: イギリスのパレスチナ委任統治終了。イスラエルが独立宣言。アラブ諸国がイスラエルに宣戦布告し、第1次中東戦争が勃発。パレスチナ人70万人が難民となり、アラブ諸国からユダヤ人80万人が追放、もしくは脱出する
  • 1947年11月: 国際連合は、イギリスが委任統治するパレスチナをユダヤ人とアラブ人の国家に分割するよう勧告するパレスチナ分割決議を可決。パレスチナのユダヤ人指導部はこれを受け入れ、アラブ人は拒否。双方の間の暴力が悪化する
  • 1922年7月: 国際連盟、バルフォア宣言(パレスチナにおけるユダヤ人の「ナショナル・ホーム」建設に賛成するイギリス政府の方針)を実現するため、パレスチナをイギリスの委任統治領にすると決議
  • 1917年12月: イギリス軍がパレスチナを占領。この後、ユダヤ人とアラブ人の敵対関係が悪化
  • 1917年11月: 第1次世界大戦でオスマン帝国と戦うイギリスが、バルフォア宣言を表明。ユダヤ人の「ナショナル・ホーム」を作ってもそこで、非ユダヤ人住民が差別されないことを条件にしていた。
  • 1917年以前: 「パレスチナ」、あるいは「聖地」、さらにはユダヤ人が「イスラエルの地」と呼ぶ地域で、オスマン帝国がユダヤ人やアラブ人の住民を支配した

(*経緯の一部抜粋)

(英語記事 Trump releases long-awaited Middle-East peace plan

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January 29, 2020 at 07:07AM
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