
ロッテ・佐々木朗希が4月10日に完全試合を達成したと知ったとき、「もうやってしまったか」と思った。いずれはノーヒットノーランを成し遂げる投手になるだろうとは思っていたが、まさか20歳で達成するとは。しかも一人の走者も許さない完全試合。17日も8回を「パーフェクト」に抑えたのだから、ただただ恐れ入る。
完全試合の日にバッテリーを組んだ18歳の松川虎生にも脱帽した。高校からドラフト1位で入団したルーキーが、佐々木朗の160キロを超える剛球をいとも簡単に捕り、しかもミットが全くぶれない。2ストライクから後ろにそらせば振り逃げで完全試合がパーになるリスクがありながら、果敢にフォークボールを要求した。
私の中日の後輩にあたる捕手の中村武志も高校からドラフト1位で入団しているが、初めはプロの投手の鋭い変化球を捕れず、突き指の連続だったという。やがて中日の正捕手になった中村がプロ入り当初に苦しんだことを思うと、松川がいかに高い技術を持っているかが分かる。

私は同僚の快挙にグラウンドで立ち会ったことがある。中日から西武に移籍した1985年の6月、郭泰源が無安打無得点試合を成し遂げた。九回、あと1人抑えれば偉業達成というところで一塁上空への飛球を広橋公寿が落として出塁させたときは誰もが肝を冷やしたが、続く打者を郭が三振に仕留め、自力で快挙をたぐり寄せた。
郭には2つの特長があった。一つはバネ。当時の西武には、陸上競技の三段跳びのように前方に大きく10回跳びながら進む「10段跳び」というトレーニングがあったが、一番遠くまで進んだのが郭だった。当時は何でもできる身体能力の塊の秋山幸二がいたが、その秋山をしのいだ。
もう一つの特長は、調子が悪かったり打たれたりしても表情に出さないこと。肝が据わっていたことは、広橋の失策にもめげずに大記録を遂げた理由の一つだろう。
郭が快挙を達成した試合で私は右翼を守っていたが、既に四死球などで出塁を許し、あとはノーヒットノーランができるかどうかという試合は案外、気楽に守れるものだ。難しい打球をはじいたりしても公式記録では失策になり、安打とならないから。だから安打性の打球が来れば、捕れなくても自分のエラーになるように、いちかばちかで思い切って突っ込んでいける。
完全試合が懸かっているとそうはいかない。たった一つの失策が大記録にストップをかけてしまうので、なかなか思い切った守備はできない。佐々木朗が快投を続けていたとき、ロッテの野手陣は相当緊張して守っていたのではないか。もっとも佐々木朗は27個のアウトのうち、プロ野球新記録となる13者連続を含む19個を三振で奪った。それ以外のアウトの機会を8つにとどめて野手陣の緊張緩和につなげた点でも、まさに独壇場だった。

佐々木朗も郭も剛速球を武器にするが、完全試合達成で思い出したのが、同じく群を抜く速球で打者を封じ込めた江川卓の流儀。彼から、ボールゾーンで勝負するという意識はあまり持たなかった、という話を聞いたことがある。自分はストライクゾーンで勝負していって抑えるのがポリシーだった、と。
早めに自分優位のカウントにし、そこからはボールゾーンへの誘い球で抑えるというのが一流投手の攻め方の一つだが、超一流になるとボールゾーンを使わなくても抑えられる――。そういう矜持(きょうじ)のようなものを江川の話に感じた。
佐々木朗も既にその域に達している。あの試合ではオリックスの吉田正尚が3打席連続三振を喫した。バットコントロールが当代随一ともいえる、あの三振の少ない打者が、だ。彼が前に飛ばせなかったとなれば、他の打者がまともに捉えることができなかったのもうなずける。
元巨人の槙原寛己以来28年ぶりとなった完全試合は、米大リーグでもそうそう見られるものではない。そう思うとあの日、佐々木朗は紛れもなく世界一の投手だった。大谷翔平らの活躍でメジャーに関心が移りつつある日本のファンの方の視線を、もう一度日本に向けさせた完全投球。大谷に続いてまた一人、目が離せない選手が現れた。
(野球評論家)
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